運転を哲学する男 小林眞のコラム 83.待つ

~ 待つ ~

 

一時停止場所で、確実に「止まる」車はほとんどいない。

「止まる」こととは、ブレーキを踏むことではない。それは、「待つ」ということだ。

ブレーキを踏んで減速しながら左右を見て、通過しようとした瞬間に左右から来た自転車などと衝突する。これが出合頭の事故であり、交通人身事故の約4分の1を占める。

ブレーキを踏んで徐行するだけでは、左右の安全確認は不十分である。その結果、出合頭の事故は繰り返される。確実に「止まる」ことによって、その後の安全確認を確実にし、出合頭の事故を半減させることができるのだ。

 

しかし、ほとんどの場合、結果的に左右から自転車も人も来ないため、止まらない運転でも事故には発展しない。その結果、大半のドライバーは、この運転で大丈夫なのだと誤解する。一時停止場所を減速するだけで通過する運転を成功体験として積み重ね、やがてそれは確信になる。

一方、その運転で自転車と衝突する事故を起こしたドライバーの多くは、運が悪かったと嘆き、自分の運転の誤りを認めない。それを聞いた家族、友人、知人もその運の悪さを指摘し、同情する。その結果、その運転は反省されず、今日も誰かが出合頭の事故を起こし、運が悪かったと嘆く。

そんなことで、交通事故が減るはずがない。

 

「止まる」こととは、ブレーキを踏むだけで実現することはできない。

「止まる」こととは、速度がゼロになった瞬間のことであるが、交通事故を防ぐために必要な「止まる」こととは、その瞬間を「待つ」ことである。

車は止まるとき、僅かに前が沈み、元に戻る。その間、わずか0.5秒ほど。その時間を待つことができるか否か。事故を防ぐために、一時停止場所で「止まる」こととは、ブレーキを踏んで速度がゼロになり、その後、車が落ち着くまでの0.5秒間を待つことである。

それが、出合頭の事故を防ぐための大事な要素である。

「止まる」ことは誰にでもできるのに、ほとんどのドライバーはそれができない。それをする必要性を理解していない。

その結果、事故は起きる。それは、運が悪かったのではなく、運転そのものが悪かったのに、それを指摘する人は少ない。

 

ブレーキを踏むことは誰でもできるのに、「止まる」ことができないのは、安全に運転することの本当の価値を見失っているからである。これまで事故を起こさなかったことは、安全運転の証明にはならない。

誰にでもできることがなされていない。これが、日々交通事故が繰り返され、一年間に2千人以上の人の命が失われ、加害者の人生が失われる原因である。

これを素直に認め、誰でもできること、ブレーキを踏んで待つことを続けることで、交通事故は半減し、死亡事故はゼロに向かう。

そこに必要性を認め、安全意識を向上させない限り、私たちはこれからも事故を繰り返し、いつまでも、事故を防ぐ運転行動を身に付けることはできない。つまり、交通事故はなくなっていかない。

そして、一時停止場所で確実に「止まる」、「待つ」ために必要なものとは、「落ち着いた気持ち」で運転すること。つまり、「落ち着いた気持ち」こそが、安全運転の基本であり、すべての安全(管理)の基本である。

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