運転を哲学する男 小林眞のコラム 49 . 人は自由か平等か

メルマガコラム 49

~ 人は自由か平等か ~

 

1948年の国際連合総会で採択された「世界人権宣言」第1条には、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である」と記されている。

このことについて学校で教えられたのは、「人は自由で平等です」という説明であったと記憶している。

しかし、私は納得できなかった。世界人権宣言の第1条について、「人は自由で平等だ」と簡単に説明することへの違和感を抱いていた。自由であることは理解できるが、平等であることについては納得できなかったからだ。

 

人はそれぞれ、生まれながらにして自由ではあるが、生まれたときから能力も生活環境も異なる。優れた者と平凡な者、裕福な者と貧しい者が存在する。この現実を平等とはいえないはずである。

小学校の運動会で順番を決めず、手をつないでゴールさせることが果たして平等なのかと思った。勉強ができる子とできない子、早く走れる子と遅い子が存在するのは事実である。それを曖昧にするのではなく、互いに認め合うことこそ大切ではないのか。

 

バレンタインデーの日、ある中学校ではチョコレートを持ち込み禁止にしたと聞いた。その理由は、「もらえない子が傷付くから」と説明され、呆れた。

確かに、A君が5個もらって、自分は1個ももらえなければ、傷付くかもしれない。しかし、何故Aはもらえて自分はもらえなかったかを考えるはずだ。そして、自分の足りない部分を考え、それを補うことを思い描く。

私は、そうして傷付きながら成長して大人になったように思う。

 

一方で、自分の欠点を克服しようとする気持ちを失えば、その人が抱く気持ちとは、不平、不満と社会に対する反発である。

あいつが悪い、こいつのせいだ、上司が悪い、会社が認めてくれないからだ、……。

その結果として増加している社会現象とは、DV、ストーカー、児童虐待、あおり運転などである。

 

そして、ドライバーこそ自由ではあり得ない。

自分の果たすべき義務を果たし、他人の権利と自由を尊重してこそ、自分にも権利と自由が与えられる。傷付いて育った大人はそれを知っている。そして、安全運転の大切さを知っている。

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