~ 免許返納 ~
高齢者の交通事故が多いからと、その対策が講じられる。
高齢者の事故が増加傾向を示すのは、高齢者の数が増加しているからである。そして、高齢者の事故が多いのは、加齢による肉体的・精神的衰弱と自己過信による。
しかし、交通事故防止対策として示されているのは、こうした原因・背景を踏まえたものではない。
歩行者・自転車・自動車それぞれが互いを尊重し、譲り合うことで事故を防ぐ、そんな新しい交通環境を目指すものではない。
それは、死亡事故件数を減らすためにはどうすべきなのか、という方策である。
交通死亡事故の総数を減少させるためには、高齢者の死亡事故を減らすことが近道だからであり、それは高齢者の命を守ろうとするものではない。
人の命を守ろうとするのではなく、交通死亡事故という結果・数値の減少を目指す施策に、人が共感を覚えることはない。
1998年、道路交通法が改正され、運転免許の自主返納制度が導入された。高齢者の事故を減らすためには、高齢者に運転させなければよいと考えたからである。
そして、この制度を推進させるため、各自治体は、公共交通機関の割引や買い物、飲食、施設利用の割引など、様々な特典を取りそろえた。
しかし、その特典とは「馬の鼻先に人参」である。そこに、高齢者の尊厳に対する配慮は感じられない。
私たちの社会が抱えている課題とは、複雑多岐にわたり、その数は無限である。
交通死亡事故の抑止、そのための高齢者の交通事故防止対策とは、そのひとつにすぎない。
そして、高齢者の交通事故防止とは、単独で存在する課題ではなく、他の多くの課題と絡み合い、交錯する中に存在している。
もし、買い物に行く高齢者の運転を減らすため、弁当を配る施策があったとすれば、それは高齢者の尊厳を踏みにじるものだ。
人は生きているモノではない。一方的に配る弁当とは、動物に与えるエサに等しい。
人にエサを与え、買い物に行かなければ事故を起こさないなどという発想は、ただの思い上がりであり、高齢者に対する侮辱である。
買い物に出かけ、食材を選び、調理して、食べ、片付けるという行為のすべてが、人として生きるということだ。
そして、運転する能力を喪失した高齢者ほど、返納の意志を持たない。私は大丈夫だと、自己過信の塊である。
つまり、返納すべき高齢者ほど返納しないのが現実であり、その効果は乏しい。
時に、安全運転を続けてきた誠実な高齢者が、私に「返納した方がいいのでしょうか?」と問いかける。
私は、返納を決める前に、事故を起こさない運転の方法について考えてみることを提案する。
1・夜の運転は止める。
2・雨の日にも運転しない。
3・いつもゆっくり、余裕を持って、あわてずに運転する。
これを実行するだけで、事故リスクはどの世代よりも低くなるからだ。
充実した老後を過ごすという人生の目的を達成するために、今の自分にできること、そして事故を起こさない方法について、本気になって考えることが必要である。
その答えはひとつではない。運転しなければ事故を起こさないという考えは、そのひとつにすぎない。
人の生活を豊かにするという、自動車本来の機能を忘れることで、交通事故防止という課題が解決されることはない。