~ 人生を変える ~
警察署長当時、部下の指導教育は大切な仕事だった。私は、幹部に対しては厳しく指導していたが、若い警察官には穏やかに、わかりやすく伝えようとしていた。署長から厳しく指導されると、若い彼らは萎縮してしまうのではないかと考えていたからだ。
しかし、退職後、歴史的な指揮者であるレナード・バーンスタインの言葉を知って、私は反省の念にかられた。
あるとき、バーンスタインは若き指揮者を指導していたが、大幅にその予定時間を超えていた。次の予定を気にしたマネージャーが「教えるのは終わりにしよう」と声を掛けたところ、バーンスタインはこう答えたという。
「私は教えているのではない。彼の人生を変えているのだ」
若い警察官に対する私の気遣いは、間違っていたのではないか。遠慮してはいけなかったのだ。本気になって、彼らを指導する気持ちさえあれば、遠慮すべきではなかったのだ。
経験不足の彼らは、今、理解できなくても、いつかわかる時が来る。署長から厳しく叱責され、萎縮したとしても、その記憶がいつか彼らを支える時が来るはずなのだ。
交通違反を検挙する理由について、「違反だから」などと違反者が納得できない説明しかできない部下には、その場に正座させてでも徹底的に教えるべきだった。
交通違反の検挙とは、検挙することを通じてドライバーの運転行動を変化させ、違反者の人生を守ること。そして、それを積み重ねることによって交通環境を変化させ、より多くの人の命を守ること、それが検挙活動の目的なのだ。
しかし現実は、大半の違反者はあからさまに嫌な顔をしてふてくされ、警察官の説明など聞こうともしない。そして警察官の多くはあきらめ、黙って切符の作成と処理を急ぐ。検挙することが目的ではないのに、さっさとやれと言われてさっさと処理するのでは、その取締・検挙活動の効果は半減する。
部下に遠慮することなくもっと本気になって伝えるべきだった。私に人の人生を変えるほどの力はないが、部下を育てることだけではなく、自分の仕事のすべてについて、本気であることの大切さを思う。本気でなければ人には伝わらない、伝えられない。本気でなければ何も変えることはできない。
死亡事故は、重大な違反によって発生するのではない。ありふれた過失によるありふれた事故が、時に人の命を奪い、加害者の人生を奪うのだ。
本気の取締り、その積み重ねによって誰かの事故を防ぐことができたのであれば、それは被害者の命を守り、ドライバーの人生を守ること、「人の人生を変えること」にちがいない。
交通事故防止活動においては、命を守られた「その人」、人生を失わなかったドライバー「その人」が誰なのか、誰にもわからない。しかし、わからなくても、数えられなくても、そこに価値を認めて本気になることの大切さについて、私たちは繰り返し考えるべきである。