~ 必要な時間 ~
自動車は誕生以来、より早く、安全に、そして快適へと進化を続けてきました。
しかし、自動車の進化に比例して、交通事故が減少しているとはいえません。これだけ自動車の安全機能が進化したのですから、交通死亡事故はゼロに近い値になっていても不思議ではないのに、未だに1年間で2千人以上の命が交通事故で失われています。
それでも私たちは、死亡事故がなくならないことに対して、危機感を覚えることはありませんでした。
交通事故、交通死亡事故は、ある程度は発生する、避けられないものだと、いつの間にか思い込んでいたのです。そして、前年比で減少していれば、それで納得してきたのです。
ナイフは便利な道具ですが、悪意がなければ人を傷つけたり、その命を奪うことはありません。しかし、自動車は、悪意などなくても、人を傷つけ、その命を奪うことがあります。
道具は便利になるほど、使い方に注意が必要です。便利さの向上に伴って危険性も大きくなりますが、進化した道具は、その危険性を感じることが難しくなるからです。
進化した自動車について、私たちはその快適さばかりに気を取られ、その危険性について、本気で考えることを避けてきたのではないでしょうか。
安心とはイメージであり、空想に過ぎませんが、安全とは現実のことです。交通事故とは、誰かが傷つき、血を流し、時にその命を奪われるという現実のことです。
交通事故を起こしてしまえば、どんな謝罪も、後悔も償いにはならず、その事故をなかったことにはできません。
自動車の安全機能が急速に進化している現代であればこそ、もう一度、安全であることの大切さ、その価値をゆっくりと考えることが求められています。
交通安全とその価値について考える時間、安全運転を心に決める時間、……それは、現代を生きる私たちにとって、何よりも大切な、 そして必要な時間なのです。
もう一度、考えてみませんか。
多くのドライバーが、そんな時間を持つことによって、交通死亡事故は半減し、ゼロに近づいていきます。
交通死亡事故をゼロにするために不足しているものとは、自動車の安全機能ではなく、私たちの安全意識であり、安全運転を心に決めるための時間なのです。