運転を哲学する男 小林眞のコラム 58. 時間の約束 その2

メルマガコラム 58

  ~ 時間の約束 その2 ~

 

(前号から続く)

Aは考えていた。

……約束の時間、時刻を守ることはもちろん大切だが、もっと大切にしなければならないことがあるはずだ。遅れそうだからとスピードを上げ、速度違反をしてでも約束の時刻に間に合わせることとは、それが法違反であることとか、検挙されるか否かの問題ではない。まして、事故を起こさなければという、結果の話ではない。

コンプライアンス以前の問題として、私たちは、誰に見られても恥ずかしくない仕事をすべきであり、遅れそうになったときに踏み込むべきは、アクセルではなくブレーキなのだ。

 

遅刻を詫びることは、確かに気が重い。会社にお叱りの電話があったら、上司に何と説明すれば良いのかと思う。

事故渋滞が原因だったとしても、遅刻したのは自分なのだ。理由を説明すれば、理解は得られるかもしれないが、約束を守れなかったことに変わりはない。いつも30分も早く出発していることなんて、言い訳にもならないだろう。

 

しかし、もし会社の中で、速度違反をして約束に間に合ったことが成功体験として伝えられ、それを受け入れてしまえば、やがて出発前の準備も怠るようになる。

あわてて出発して、速度を上げて間に合わせることを認めてしまえば、いつか誰かが事故を起こす。

何よりも、違反をしても間に合えばいい、事故さえ起こさなければいいという意識、考え方は、会社の体質を歪め、組織の弱体化につながってしまう。

法令を守るという個々の行動の評価ではなく、誰に見られても恥ずかしくない、堂々と説明のできる仕事の在り方を考えなければならない。それは、仕事にとどまらず、人としての責任を果たすために必要なことなのだ。

 

仕事のために急いでいるのなら、多少の違反は仕方がない、そんな考え方をする者に、コンプライアンスを語る資格などない。

そんな者を会社の幹部には登用しない。大手企業のB社だけではなく、すべての取引先、協力会社から信頼される会社にしたい。

安全運転に努めるという当たり前のこととは、すべてに優先する、人として果たすべき当然の責任のことなのだ。それを忘れて、会社の進化・発展など考えられない。……

 

PAGE TOP