運転を哲学する男 小林眞のコラム 52 . 高齢者対策

メルマガコラム 52

~ 高齢者対策 ~

 

高齢者の交通事故が増えたのは、高齢者が増えたからである。しかし、マスコミは、高齢ドライバーのアクセルとブレーキの踏み違い事故、そして高齢歩行者の横断中の死亡事故を重点的に報道し、高齢者が悪者であるかのような印象を与えている。

 

警察組織は免許の返納を呼びかけ、自治体は免許返納した高齢者を賞賛する。しかし、返納した高齢者とは、免許証が不要になった人、あるいは、安全意識の高い人である。

施設に入居するなどにより免許証が不要になった人たちは、その後、運転することはないのだから、免許返納によって交通事故が減ることはない。心身の健康に自ら疑問と不安を抱くという、安全意識の高い人は、元々安全運転に務めていた人たちであり、事故の可能性は低い。

つまり、返納した高齢者は、その後も交通事故を起こす可能性は低かったことになる。

そもそも、「私は大丈夫だ」と慢心している高齢者こそ事故リスクが高く、返納すべきであるが、返納すべき危険な高齢ドライバーこそ、返納する気持ちになることはない。

その結果、免許返納制度によって交通事故が減少すること、交通環境の改善に与える影響はわずかである。

 

交通安全活動のイベントでは、高齢者に反射材を配り続けるが、それを着用して夜間散歩する高齢者は稀である。そして、社会・マスコミは、夜間、反射材を着用せずに車にはねられる高齢者を批判する。しかし、高齢者を悪者にする前に、高齢者が反射材を着用しない理由を考えなければならないはずだ。それは、「あれしろ、これしろ、事故するな」と繰り返した、過去の交通事故防止対策と同じである。

問題が発生すると、社会は原因を追及し、誰かを悪者にして解決を図ろうとする。しかし、高齢者の事故が多いのは高齢者が増えた結果であるのに、高齢者を悪者にしても問題の解決にはならない。問題の解決とは、すべての交通事故を減らしていくことだ。

 

行政の交通事故対策とは、交通事故死者数の減少が目的である。高齢者の交通死亡事故対策が叫ばれるのは、交通死亡事故被害者の半数以上が65歳以上の高齢者だからであり、高齢者の命を大切にする社会の実現を目指しているからではない。

交通死亡事故の減少とは、私たちにとって単なる社会現象の結果であり、目標ではない。私たちの目標とは、すべての人たちが、交通事故の加害者にも被害者にもならないことだ。

それは、決して同じではない。

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