運転を哲学する男 小林眞のコラム 50 . 道路交通法の罰則強化・その意味

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~ 道路交通法の罰則強化・その意味 ~

 

2019年12月、「ながら運転」の罰則は点数、反則金ともに3倍に強化されました。

その1年半後、警察庁は、「罰則強化によって、ながら運転による交通事故は半減した」と発表しました。しかし、その半減とは、統計値のことであって、現実の発生数ではありません。

交通事故の原因が「ながら運転」か否かの判断とは、加害者の供述に拠ります。つまり、「ながら運転」をしていたのにウソをつき、そのウソが認められれば「ながら運転」による事故には計上されないのです。

現実の発生件数は誰にもわかりませんが、交通事故の現場において、「ながら運転」を証明する客観的証拠の乏しさを考えると、正直に「ながら運転」をしていたこと、自分の過ちを認めるドライバーは、約半分と考えることもできます。

だとすると、罰則強化によって「ながら運転」による交通事故は減っていなかったことになります。統計値が半減したのは、嘘つきが増えた結果だった、ということです。

 

2019年に発生した「ながら運転」による死亡・重傷事故は105件で、5年後の2024年には136件でした。計算上では30%の増加ですが、先の仮説(半分は嘘つき)によれば、実際の発生数は倍の272件となり、増加率は30%ではなく、160%、2.6倍に増加したことになります。

これが現実であると考えて、私たちは「ながら運転」への警戒感を強めていく必要があると考えています。

少なくとも、「ながら運転」が、今日の交通事故の大きな要因であり、将来の交通環境に与える悪影響も深刻であることは確かです。

 

多くのドライバーの運転の基準とは、「検挙されるか否か」です。 しかし、法律とは、それを守っていれば正しいのではなく、それすら守れないのであれば、社会的な制裁(罰)を加えるという制度にすぎません。

交通事故を起こしてしまえば、その事故をなかったことにはできません。ウソをついても、言い訳をしても、その責任を免れることはできないのです。

 

さて、電車内で座っていた時、杖を持った高齢者が乗ってくれば、あなたは席を譲るでしょう。それは、検挙されるからではなく、そうしなければ落ち着かない、あなたの良心の故。

今、罰則の有無強弱で運転行動を規制するのではなく、自分自身の良心に基づいた運転が期待されています。歩行者を優先し、譲り合う運転が求められています。

そして、私たち一人一人の運転の在り方が、将来の交通環境を築くという事実を忘れてはなりません。将来の安全な交通環境を築くことができるのは、他の誰でもなく、現在を生きている私たち自身なのです。

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