メルマガコラム 51
~ 不便益 ~
「不便益」という言葉を見つけた。不便で良かったことを「不便益」というそうだ。
“不便益システム研究所”のHPによれば、「富士山の頂上に登るのは大変だろうと、富士山の頂上までエレベーターを作ったら、……山登りの本来の意味がなくなります。(野球の)ヒットを打てるように練習するのは大変だろうと、だれでも必ずヒットの打てるバットを作ったら、……これも同じですね」など、「不便益」の考え方が説明されています。
一歩一歩、足元を確かめて富士山に登るがごとく、あるいは、一本のヒットを打つために日々素振りを繰り返すように、私たちが毎日安全運転に務め、続けることが、運転することの価値なのだと思っています。
自動ブレーキなどの安全機能に頼るのではなく、私たち自身の力によって、自動車は、安全で快適という本来の機能を取り戻すことができるのです。
私たちが自動車に求める機能とは、安全で快適で便利なことです。事故さえ起こさなければ良いというものではありません。安全だけを優先するのであれば、速度が30km/hまでしか出ない仕組みにすることで、安全という問題はほぼ解決します。しかし、そんな自動車は快適でも便利でもなく、自動車としての価値を失います。
私たちは自動車の機能として、相応の速度を期待しています。もちろん、速度が出ることによって危険性は増加しますが、それはドライバーの安全意識、安全運転で回避すべきであり、回避できると考えてきたはずです。こうした考え方を前提として、現在の私たちの社会、交通環境は成立していたはずなのです。
自動車の安全機能が急速に進化することで、交通事故総数は減少傾向を示しますが、それだけで満足することはできません。
私たちにとって大切なこととは、社会の交通事故が減少することではなく、私たち自身が、家族が、友人・知人が、交通事故の加害者にも被害者にもならないということです。
そのために、現代の私たちドライバーが果たすべき役割、その責任とは、私たち一人一人が安全運転を行うことに価値を認め、自分自身の力で安全運転を続けることなのです。
つまり、自動車の安全機能が進化・発展する現代とは、私たち自身の安全運転によって、自動車本来の機能、安全性と快適・便利な機能を両立させ、発揮させるべき時代のことだと考えているのです。