運転を哲学する男 小林眞のコラム 47 教えること

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~ 教えること ~

 

「教えることとは、夢を語ること、そして未来を共に語ること」……、これは、ルイ・アラゴンの詩の一節である。

「あれしろ・これしろ・事故するな!」「事故を起こして会社や上司に迷惑をかけるな!」という、それまでの交通安全教育・事故防止対策に疑問と反発を抱いていた私は、この言葉に大きな根拠を見出した。

交通事故を防ぐこととは、会社や上司のためではない。

交通事故を防ぐことによって守るべきは、何よりも私たち自身の人生である。

交通事故防止対策とは、コスト削減対策などという部分的な施策ではない。企業、その組織が取り組む交通事故防止対策とは、すべての社員に関わる組織管理・業務管理・人事管理の中心に位置する重要な課題である。

 

私たちの社会は、防ぐことのできる交通事故に対して、本気で向き合ってこなかった。

誰かが起こした交通死亡事故ですら、加害者の会社はそれを会社の損失ととらえ、私たちの社会は件数で評価した。

会社幹部は、会社を守るために事故するなと社員に繰り返し、社会・マスコミは、事故の原因と前年比の増減に焦点を当て、気を付けましょうと呼びかけ、次のニュースを伝えていた。

 

一流企業の交通事故防止対策を拝見したことがあるが、A3サイズの用紙にぎっしりと細かな対策が網羅されていた。

この計画書を誰が読むのだろうと思った。すべての社員が読むべきこととされているが、これを読んでも、自ら交通事故を防ごう、安全運転に務めようと思う気持ちは持てないと思った。

しかし、これだけ細かに指示したのだから、事故は起こらないはずであり、起きたとすれば、指示された事故防止対策を怠ったその社員に責任がある、ということになる。

交通事故防止対策、それは社員の交通事故を防ぐための計画であったはずである。しかし、その計画書は、事故を起こした社員の責任の所在を指摘する根拠に成り下がっていた。

 

教えることとは、夢を語ること、未来を共に語ることである。だとすれば、管理者が語るべきは、交通事故の責任追及ではない。

管理者が語るべきこととは、交通事故の当事者にならないことの大切さである。交通事故と無縁でありつづけることによって得られるもの、家族とともに笑顔を絶やさずに生きていくことの大切さ、その価値を語ることである。

管理者こそ、人生を自ら守り続けることの大切さ、そのための少しの努力を惜しまないこと、つまり、安全運転を続けることの価値、私たちの失ってはならない「夢」を語るべきである。

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