メルマガコラム 43
~ 危険認知 ~
ファミリーレストランに来た子どもが、嬉しくて通路を走っている。母親が子どもを叱る「危ないから、走らないで!」それでも、子どもは走るのをやめない。
やがて母親は席を立ち、子どもの前に立ちふさがって怒鳴りつけた。「いい加減にしなさい!」その母親の形相と声によって、ようやく子供は席に戻った。
この場面で、子どもが母親の言うことをきかなかったのは、母親の言う「危ない」の意味、何が危険なのかを理解できなかったからだ。この危険性を理解することを「危険認知」という。
レストランの中を走り回れば、テーブルの角に頭をぶつけてケガをする。あるいは、ウェイトレスにぶつかり、運んでいた熱い食事が空を舞う……、そんなことをまとめて母親は「危ない」と表現したのだが、その危険を認知できない子どもには理解できない。
最後に、母親が激怒して走るのをやめたのは、走ることの危険を理解したのではなく、これ以上母親に逆らうことの危険を察知したからである。
この子どもの状況は、多くのドライバーの現状と同じである。つまり、交通事故に気をつけろ、安全運転をするよう言われても、その意味が理解できていないのだ。
交通違反で検挙されても、違反したことを反省するのではなく、検挙されたことを後悔するだけである。事故を起こした場合ですら、たまたま運が悪かったから仕方がない、などとつまらない言い訳をしている。
その姿は、レストランで走り回る子ども以下である。
私たち大人は、子どもたちにレストランで走ることの危険を教え、道路を横断する時の危険について、繰り返し教えなければならない。ただ、気をつけなさいと繰り返すのではなく、その危険であることの意味、その危険が自分の体にどんな結果を及ぼすのかについて、繰り返し伝え、理解、納得させなければ子どもの安全は守れない。
同じように、未熟なままハンドルを握るドライバーは、交通事故の危険性についての理解、危険認知ができない。だから交通事故は半減せず、死亡事故はなくならないのだ。
何が危険であるのかを理解し、自らの行動をコントロールすること、この危険認知の過程が人の成長の証しでもあるが、子どもを育てることも、ドライバーを育てることも、大変な手間と努力、そして根気が必要なのだ。