運転を哲学する男 小林眞のコラム 73.掛け違えたボタン

~ 掛け違えたボタン ~

 

昭和40年頃、自動車によって私たちの社会は急成長を遂げようとしていた。

そして、自動車本来の機能である、安全、快適、便利という3つのうち、便利さを追い求め、安全であることを置き去りにした。

自動車を走らせることで経済は活気を帯び、ある程度の交通事故は仕方がないという風潮が高まっていた。                                         そして、交通事故は、まずは歩行者が気を付けるべきだとされていた。当時、私が学校で教えられた交通安全標語とは、                                  「とび出すな、車は急に止まれない」であった。

自動車とは、本来は安全な乗り物だった。速度を抑制し、ブレーキとハンドルを正しくコントロールすれば、危険を回避することができるからだ。

つまり、事故を防ぐためには、止まれる速度で走ること、周辺への注意を怠らないことが不可欠だった。

しかし、車を走らせることに気を取られ、ある程度の事故は不可避であるような考え方が蔓延した。

事故を起こしても、自分の過ちを素直に認めず、事故の原因について、                                                       あれは運が悪かった、たまたまだ、見えなかったから仕方がない、飛び出てきた歩行者が悪い、などと言い訳することが当たり前になった。                         そして、私たちは、その言い訳を批判するのではなく、受け入れてきた。

私たちの社会は、その頃、自動車の安全性を置き忘れ、肝心な最初のボタンを掛け違えた。                                                私たちが掛け違えたボタンとは、安全より便利さ(速度)を優先したこと。                                                         最初の安全というボタンホールには、「安全」というボタンを掛けなければならなかったのに、便利さ(速度)というボタンを掛けてしまったことだ。

それから60年を経て、掛け違えたボタンはそのまま引き継がれている。                                                        掛け違えたボタンは一つでも、間違えたボタンの数は、掛ける度に増えていく。                                                       全体を正しい位置にボタンを掛け直すには、最初に戻らなければならない。

その後、交通事故・交通死亡事故の急増に伴い、交通事故防止が叫ばれるようになった。                                               そして、全国で交通安全運動が展開されるようになったが、最初のボタンを掛け直すことは、忘れられたままだった。

手元のボタンを正しく掛けるには、最初の掛け違えたボタンから直さなければならなかったのに、手元のボタンばかりを気にしている。

手元のボタンとは、交通死亡事故の前年比、その増減のことである。                                                        年々の交通死亡事故件数の増減を議論するだけでは、安全な交通環境を実現することはできない。

現在のボタンを正しく掛けるためには、最初の掛け違えたボタンから直さなければならない。                                                          60年間、60個のボタンすべてを外し、最初から掛け直すこと、その覚悟が必要である。

私たちは、安全運転を続けることによって、自動車の安全性という本来の機能を取り戻すことができる。                                         そして、ボタンの掛け違いを正すことによって、私たちは、私たちの力で交通事故のない安全な交通環境を実現することができるのだ。

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