運転を哲学する男 小林眞のコラム 72.原因帰属論

~原因帰属論~

私たちは日々、様々なことを体験します。そして、それは何故か、どうしてなのかとその原因を考えます。
出来事の原因をどう考えるかによって、私たちのその後の行動は変化します。
このように、原因をどのように考えるかというその考え方を、心理学では「原因帰属論」といいます。

例えば、水が入ったバケツを考えてみます。

ある日、お母さんが雑巾がけをしていると電話が鳴りました。お母さんがバケツをその場所に置いて電話に出たところ、
走ってきた子どもがそのバケツを蹴飛ばし、床一面が水浸しになりました。
お母さんは子どもを叱ります。
「どこ見て走ってるの!気をつけなさい!」

今度は反対の場面を考えてみます。
お子さんがお風呂場で水遊びをして、バケツを居間に置いたままトイレに行きました。
そこに、洗濯物を抱えたお母さんが来てバケツを蹴飛ばします。その時、お母さんはきっとこう言うでしょう。
「何でこんなところにバケツを置いたの!」

バケツが蹴飛ばされて床が水浸しになったことは同じなのに、お母さんの評価は全く反対です。
同じ出来事でも、立場・考え方によって原因は異なってみえるのです。バケツに気付かなかったことが原因と考えるか、
バケツをそんな場所に置いたことを原因と考えるかによって、評価は異なります。
そして、こうした悪い出来事を防ぐために必要なこととは、バケツを置いた人や蹴飛ばした人を責めることではありません。
それでは、いつかまた、同じ事を繰り返します。
原因をひとつに決めつけず、双方の見方を尊重すれば、同じ出来事を発生させないために必要なこととは、
互いに配慮することなのだという答えが見つかります。

交通事故が発生した場合、誰かを悪者にしても、何も解決することはできません。

道路に飛び出してきた子ども、黒い服を着て横断歩道でない場所を渡る高齢者を悪者にしても、次の事故を防ぐことはできません。
間に合わなかった、見えなかったことを原因とするのでは、同じ事故は繰り返されます。

交通事故とは命が傷付く現実のことであり、解決することとは、
交通事故を減らすこと、死亡事故をなくすこと、私たちが加害者にも被害者にもならないということです。
人の過失(ウッカリ)をなくすことはできませんが、双方が注意することによってその過失を補い、事故に発展することを防ぐことができるのです。

自動車の安全機能が急速に進化している今日こそ、誰かの過失を補うほどの高い安全意識を持ち、
一人でも多くのドライバーと共有することによって、事故を回避することが求められています。

交通事故を減らすために不足しているものは知識ではありません。
私たちドライバーに不足しているものとは、それを本気で考えて実行しようとする意志なのです。

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