運転を哲学する男 小林眞のコラム 66.食の安全、交通安全

~ 食の安全、交通安全 ~

 

スーパーで、小学生くらいのお嬢さんを連れた若いママが買い物をしていた。野菜や肉は国内産を選ぶなど、子どもの健康に対する配慮が感じられた。

しかし、買い物を終えて帰る車の中で、お嬢さんはシートベルトをしていないどころか、ダッシュボードに手をついて立ったまま、ママは平然と車を走らせていた。

それがどれほど危険なことなのか。ママの運転する車が追突すればどうなるのか、考えればわかる。お嬢さんは顔面を強打し、一生消えない傷を残すことになる。そして、時にその命は失われる。

 

食の安全の意識は高いのに、交通安全の意識は低すぎる。

加熱用の肉や魚を生のまま食べることなど考えられないが、シートベルトを着けさせないまま子どもを乗せて運転することとは、それ以上に危険な行為である。

しかし、そんな注意をしたところで、聞き流されるに違いない。

「お子さんにシートベルトもさせずに運転するなんて、危険ですよ」

「そうですね、ありがとうございます。でも、大丈夫です。私、気をつけてますから!」

そう、誰だって気をつけていたのだ。大切なお子さんを乗せて、お子さんにケガをさせてもいいなんて、そんなこと考えて運転しているパパやママなんているはずがない。みんな、気をつけていたのに、ウッカリ、わずかな過失で事故を起こし、大切な子どもたちの体と心に、一生消えない傷を残してきたのだ。

 

食の安全が過剰だということではない。包装された野菜でも必ず洗って食べるように、車に誰かを乗せる場合には、シートベルトを着用させることが当たり前にならなければならない。

そして、魚肉にきちんと火を通すように、車の運転中は運転に集中し、安全運転に努めることだ。

食事を美味しくいただくためには、何よりも健康でなければならない。そして、交通事故の加害者にも被害者にもならないことが大切である。

 

過去の統計によれば、食中毒で亡くなった人の数は、交通事故死者の約千分の一とのこと。つまり、交通安全意識が食の安全意識ほど高いレベルになれば、交通事故死者数も半減し、十分の一、百分の一になっていくはずである。

そして、それは決して夢物語なのではない。私たちの意識を変えること、安全意識を高め、安全運転に努めることによって、いつでも実現できる現実のことである。

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