~ 老人の時間、若者の時間 ~
年齢を重ねると、時間が早く過ぎ去るように感じられる。その理由については、記憶の質と量の変化だと説明されている。
人の記憶は4歳から始まる。そのため、10歳の子どもの記憶年数は6年間、70歳の私は66年間である。つまり、1年間という時間の長さは、記憶総量の中で、子どもは1/6であるが、私は1/66である。
つまり、子どもの1年間の記憶量は記憶総量の17%、私は1.5%であり、記憶占有率が少ないほど時間経過の印象は薄くなる。
それと、子どもの頃は、いろいろな出来事すべてが目新しくて印象的であるが、高齢者にとってはほとんどすべてが周知の事実であり、記憶に残る印象的な出来事はわずかである。
その結果、1年間で残される記憶の量は、子どもは多く、高齢者は少ない。記憶量が多ければその期間を長く感じ、少なければ短く感じることになる。
さて、若者は先を急ぎ、危険な行動を好む。それは、人生の先が見えないことへの不安の現れである。
一方、高齢者は先が見えているからあわてない。高齢者の交通事故が多発していると強調されるが、それは、高齢者が増えたからである。
むしろ、免許人口比で交通事故が多く、増加傾向にあるのは若者世代であり、その背景として指摘できるのは、車離れと「ながら運転」である。
昭和世代は、自動車を運転することが大人の仲間入りの証しであり、憬れを抱いていた。しかし、少子化とネットワークの急速な進化の中で育ってきた現代の若者は、運転することに憬れや興味はなく、必要があるから運転するだけである。
その結果、自動車を運転することに関する安全意識も大きく変化している。
そして、「ながら運転」こそ、現在の交通事故の重要な背景・要因となっていることは事実であり、それは統計値の数値以上である。
交通事故の原因、例えば前方不注視という行為の原因が「ながら運転」であったのか、なかったのか。それは、ドライバーを写す車内モニタが設置されていない限り、ほとんどは事故当事者の供述による。
「ながら運転」をするなと会社で指示されていれば、つい、ウソをつきたくなる。「スミマセン、右の看板に気を取られていました」と供述すれば、その事故原因は「ながら運転」ではなかったことになる。
「ながら運転」の統計値とは、嘘つきを除いた数であるとすれば、それは統計値以上に増加している。
若者に向けて、「ながら運転」をやめなさいと指示するだけで「ながら運転」がなくなることはない。指示しても「ながら運転」によって事故が発生する。
指示したのに守らなかった若者を叱ることはできるが、起こしてしまった事故をなかったことにはできない。
私たちは、若者の特性を理解した指導・教育を行うことが必要であるが、簡単な対策・方法など存在しない。今も昔も、それは本当に難しい課題である。
まずは私たち中高老年世代のドライバーが、安全運転に価値を認め、「ながら運転」など行わないこと、である。