運転を哲学する男 小林眞のコラム 61.費用対効果

費用対効果は、企業経営の現場では常に重要な課題である。しかし、警察活動において、それが深刻に検討されることは少ない。人の命の価値が無限大だからである。
そして、交通警察活動の効果とは、交通事故の減少ということになるが、それは単純に算出できるものではない。

警察活動の効果は、必ずしも直ちに効果が現れるものではないからである。ある年の交通事故が減少したとしても、その前年に行った対策の効果だと判断することはできない。常に時差、偏差、誤差が生じている。
こうしたことが、警察活動における費用対効果の課題を複雑に、そして曖昧にしている。

自転車事故が増加傾向にあった2015年、警察署長として私はその対策を考えていた。事故を多発している世代は主に高齢者であるが、私が考えていたのは、中高生の自転車に対する徹底した指導だった。そして、交番・パトカーの勤務員に向けて、中高生に対する徹底した指導・警告活動を行うよう指示した。

「中高生が、警察官に一度注意されたくらいで正しい自転車の運転を行うことなど、私は期待していない。
しかし、警察官に注意されたこと、「ダメだよ」「気をつけて」と言われたことの記憶は必ず残る。毎日50件の警告を行えば一年間で18,000件、3年間で5万件を超える記憶が中高生の記憶の中に蓄積されていく。
その記憶の積み重ねが、いつか誰かの交通事故を防ぐ。5万件の警告、その記憶が1件の事故を防いだとして、それを無駄だと思うか?非効率だと思うか?
私はそうは思わない、それで十分だ。防ぐことのできた事故がたとえ1件であったとしても、中高生の中に残された警察官の言葉、その記憶が無駄になることはない。私はそこに価値を認めている」

その後、交番・パトカー勤務員が徹底して自転車の警告活動に取り組んだ結果、ある月の警告件数は3,200件、1日100件を超えた。県下全警察署の指導警告件数の半分を占めた。そして、中高生の「ながら運転」や無灯火の自転車などは見かけなくなった。
若い警察官が特に熱心に取り組んでいた。その理由を聞くと、中高生に「これからは気をつけてね」と伝えると「ありがとうございます」とお礼を言われるんです、と喜んでいた。

なるほど、それは嬉しいに違いない。自動車の交通違反を検挙すれば、ほとんどの違反者からは文句や不平不満を聞かされる。それに比べればどれほど嬉しいことか、その気持ちは私にもよくわかる。
いつか誰かの事故を防ぐ、そんな費用対効果を無視したような警察活動が、市民の理解や支持が得られるのかと問われたことがあった。しかし、そうした活動の積み重ねこそ、忘れてはいけないのだと、私は考えていた。

交通安全活動とは、減らした事故の件数が効果なのではない。効果など数えられなくても、見えなくても、無駄になる交通安全活動など存在しない。
その活動に参加された方々と交通安全の価値を共有し、安全意識を高め、それを誰かに伝えることができたのであれば、それを成果として誇るべきである。

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