運転を哲学する男 小林眞のコラム ~76.音楽、絵画、文学の価値 ~

~ 音楽、絵画、文学の価値 ~

 

音楽の価値は音の大きさではない。
耳をつんざくほどの音量のハードロックはその音量にも価値があり、消え入るようなクラシックのピアニッシモにも価値がある。

例えば、有名なベートーヴェンの第九の合唱において、それまで大合唱で歌われてきた歌が、突然消え入るように小さく歌われる。
ベートーヴェンの自筆譜には、わざわざ赤字で、しかも大きな文字で「そこはスッと小さく歌え!」と書かれている。
大合唱が突然消え入るように歌われることで、ドキッとさせられる。聴く者に思いを投げかける。それはフォルテッシモから生み出される、ピアニッシモの価値である。

また、ショパンの有名な前奏曲「雨だれ」は、降りしきる雨音の落ちる様子がずっと連打され続けているが、終曲の前にフッと止まる。
その瞬間、耳を傾けていた者は、思わず息をのむ。音を消すという音楽の表現である。

そしてハードロックもクラシックも、人それぞれの心に届き、比較することに価値はない。

絵画の価値が絵の大きさに比例することはない。最高の評価が与えられているレオナルド・ダ・ビンチの「モナリザ」など、実際の作品はむしろ小さくてかわいい。

親戚の叔母は絵を描いて、画家として生きてきた。既に八十歳を超えたが、今も絵を描き続けている。

「私はね、光を描きたいの。そのためにモノとか人を描いているの」という叔母の言葉に不思議な感銘を受ける。
それは画家としての名言なのだと思うが、やはり私に絵の価値はわからない。

そして文学の価値とは、物語の長さではない。トルストイの「戦争と平和」や、マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』などはとんでもなく長い。
読み終えることが修行のように感じられるが、その長さに価値が与えられたわけではない。

さて、交通安全活動、安全運転の価値とは、数値で評価できるものではない。
どんな交通安全活動が何件の事故を減らしたのか、誰の安全運転が事故を防いだのか、誰の命を守ったのかなど、誰にもわからない。

しかし、わからないから価値がないのではない。数値の評価などできなくとも、そこに正しく価値を認め、交通安全活動、安全運転を続けていくことが私たちの課題である。

目に見えないものに価値を見いだして大切にしていくこと、そして、一人でも多くの人とその価値を共有していくこと。
これこそが、新しい安全な交通環境を創り出すためには不可欠である。

安全運転を続けることとは、誠実な運転を続けることである。

失われた命には名前があり、その悲しみは現実であるが、守られた命はそれが誰なのか、誰にもわからない。
それは前年比マイナスの数値ではない。

数えることのできない安全の価値こそ、すべての人にとって何よりも大切なものである。

守られた命の数を数えることができなくとも、誠実な運転を続けることに価値はある。

目に見えなくとも、何かと比較することなどできなくても、
そこにある価値を認め続けることが人としての誠実さであり、その人の人格の価値なのだと思い続けている。

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