運転を哲学する男 小林眞のコラム 39 「風」になる

メルマガコラム 39

~ 「風」になる ~

 

2016年、歌手として初めてノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、その昔、歌っていた。

How many times must the cannon balls fly

Before they’re forever banned?

「どれだけたくさんの砲弾が飛び交えば、人は永遠に戦争を止めることができるのだろうか?」

そして、私は考える。「どれだけたくさんの人が交通事故で命を失えば、人は交通事故を無くすことができるのだろうか?」

 

それは、自動車の安全機能や自動運転によってではない。それは、人が運転する自動車の、人の安全運転よって実現すべきなのだ。

私たちは、悲しみによって、考えることによって知恵をみ、力を合わせることによって困難を克服してきた。それを機械に委ねることは、人の命の重さを数の多寡にすり替え、人としての叡智を放棄することになるからだ。

 

高齢者の事故が増えたのは高齢者が増えたからなのに、高齢者の事故が多いと嘆くのは、高齢者人口の増加を嘆いているにすぎない。

交通事故で命を失った人たちの数ではなく、その人たちを大切に思っていた家族や友人がいたこと、そして加害者にもその家族がいたことを忘れてはならない。

それでも、多くの人たちが交通事故を防ごうとする真摯な思いを持てないのは、想像力が足りないからである。命を失った人、その家族の気持ちを察する力の欠如であり、加害者やその家族の気持ちを考える力の欠如である。そして、自分の運転行動に変化を与えられないのは、人としての誠実さの欠如である。

 

他人の運転行動はコントロールできないが、自分の運転行動をコントロールすることはできる。できないことを嘆くのではなく、できることをすればいい。それだけで交通事故は半分以下になる。私たちは今、できることをすればいい。

命を失った人、その家族の気持ちを察する心を持ち、加害者やその家族のことを考える力を持つ。そして、自分自身の運転行動に責任を持つ。そんな人としての誠実さを身に付けることだ。

 

ボブ・ディランの歌はこう続く

The answer is blowin’ in the wind

(答えは風に吹かれている)

そうだ、私たちはその「風」になろう。いつか、「風」になる。

PAGE TOP